こなつは天才??

鼻で笑って聞いて頂きたいのだが、こなつが生まれてから時々、真剣に考えてしまうことがある。

それは、「こなつが何かの天才だったらどうしよう」ということだ。

…鼻で笑ってもいいから、あきれずにこの先もちゃんと聞いてほしい。

こどもを産むまで、親バカというのは本当にただ、頭に花の咲いた状態のことを言うのだと思っていた。

それは確かにそうなんだけど、でも、それだけじゃなかった。

小さな赤ん坊が足を俊敏にバタバタすれば、「身体能力が高いかもしれない」と思い、音に反応すれば「音楽の才能が…?」と思う。偶然発せられた「ママ」に、「こんなに小さいのにママにママって言えるなんて、天才かもしれない」と思う。

冗談半分、本気も半分に。

この現象は、ただの(親)バカゆえではない。

子供が生まれ持つ才能を見逃したら困るから、必死で可能性を拾っているのだ。

トンビがタカを産むことだってありえる。

トンビの親は、タカになにをしてやれるだろう。

そもそもトンビは、我が子がタカであった場合、そのことに気付けるだろうか。

鼻たれトンビとして育ててしまわないか。

秀でた才能に気づかないまま大人になるのはもったいなさすぎる。

子供の才能をちゃんと見つけて、それを生かすも殺すも周りの大人、特に親次第だ。

まして、である。まして、その才能が、ものすごく秀でたものだったら。

世界に通用する才能だったり、それしかできないくらいの偏った秀でた一芸だったり、ギフテッド(先天的に顕著に知能が高い天才児)のような子供だったりしたら。

ギフテッドは普通の親からも生まれる。

この国では、そういう子たちはおそらく生きづらい。

実際、多くのギフテッドが海外に渡っている。

もし…もし我が子がギフテッドなら、英語も喋れない私が、子供のために海外に移住できるだろうか。

「普通に」が好きな、私を含む大人が、天才児を「普通になるよう」育ててしまったら、将来その子はきっと、社会で肩身の狭い思いをするだろう。

才能面だけじゃない。

例えば、一見良さそうな優しすぎる性格とか、楽観的すぎる性格とか、内面的なことでも同じだ。

才能も性格も、全てが平均的な子供なんていない。

足りない部分を補うのも大事だけど、良し悪し問わず飛び出した部分との向き合い方も大切だ。

親バカって、子供に対して自分の所有物みたいな感情があってのことかと思っていたけど、全然違った。子供は子供だ。親のものではない、子供の人生は子供のもの。

親は子供が生きていくのを手伝ってやることしかできない。

私が死んでも子供がちゃんと生きてけるように、自分が生きている間、ほんの少し手伝うだけだ。

私なしじゃ生きてけないかのように泣くのなんて、今だけなのだ。寂しいけど。

天才児だったらなんて、なんと大げさな、なんと呑気な妄想、と思われるだろうけど、この問題は、いろんなハンディキャップとも隣り合わせの話だと思う。

この子が将来、少しでも生きやすいように、自分で未来を決められるように、持つ才能はちゃんと見つけて伸ばしてやりたい。

教育ママになんてなりたくないし、むやみやたらに習い事もさせたくない。

ただただ、子供の才能を、あるいはできることを、まずは親の私が大事に大事にしてやりたい。

だから親バカになる。だから天才児だったらどうしよう、なんて考えている。

今日、無料で参加できる赤ちゃん向けのコンサートに、初めて行った。

ピアノとバイオリンとコントラバスの三重奏。

約10曲。童謡だけじゃなくて、トルコ行進曲や、シンコペイティッド クロックなんかもあって、大人が聞いても十分楽しめる内容だった。

コンサート中小一時間、こなつはなんと、ぐずりも泣きも動きも寝もせず、大人しく私の膝に座って、じっと聞いていた。

興味津々、食い入るように3つの楽器を順々に見ていた。

特にシンコペイティッドクロックは気に入っったようで、身を乗り出して聞いていた。

8ヶ月の子供が1時間もこんなに大人しく音楽を聴くものかと感激して、天才かも…!!!と周りを見渡したら………意外とみんな大人しく聞いていた。

成長とともに個性がでてきて、赤ちゃんで集まる機会も増え、新生児のころほど、「天才だったらどうしよう」と考えることは減った。

今の所こなつが他の子より顕著に秀でているのは「食べっぷり」と「飲みっぷり」だけで、早くも「杞憂」という言葉が頭に浮かぶのだった。

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かまんかまん

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