4コマ 産後ハイのこと

こなつが生まれて、もうすぐ1年になる。

こなつのお誕生日が近づくにつれ、産後に覚えた不思議な感覚が、たびたび呼び起こされる。

自分も生まれなおしたような新鮮さと、無性に泣きたくなるような不安定さ。

幸福感と、それと隣り合わせにあって時々顔を出す真っ暗な穴っぽこ。

最近、些細な何か…テレビに新生児が映るとか、夫の帰りが遅くてこなつと二人の時間が長いとか、日常にありふれた些細な何かで、産後の感覚をふと思い出してたまらない気持ちになる。

同じ季節がやってきて、非日常の特別な出来事を体が思い出すんだろうと思う。

妊娠中、至る所で、産後うつを決して軽んじてはいけないと教えられたけど、私が実際に体験したのは「産後うつ」というよりはむしろ「産後ハイ」だった。

幸いにも、こなつが生まれた瞬間、間欠泉のように母性が大噴出し(これは決して当たり前のことではないらしい)、「森羅万象ありがとう!」みたいな気持ちがしばらく続いた。

生きてきてそれなりに嫌なこともあっただろうに、それらが全て抹消されて、これまでに経験した楽しいことや嬉しいことが、私には本当に十分すぎる気がした。

数は多くはないけれど心底大切だと思える友人にも出会えたし、夫にも巡り合えた。

私はもういいから、あとはこなつにあげよう、と思った。

4コマの通り、「いや待てよ…やっぱり3分の一だけあげよう。」と思い直してみたり、翌日になるとまた、全部あげよう、と思ったり、産院でそんなことばっかり考えて過ごした。

日本人の赤ちゃんの標準であるガッツ石松相手に、「天使!!!」と本気で思い、写メを撮りまくり、後で見返すと普通の赤子の普通のショットを「天使の奇跡の一枚!!」と思って親戚に送りつけたりした。

今でも私にとってこなつは天使であることに変わりはないし、いくらでも私の何かをあげられるのならあげたいけれど、産後のあの針の振り切れた状態を、客観的に苦笑いできる程度には正常に戻っている。

産後ハイがゆえに、出産直後から子育てを苦だと思うことはなかったけれど、それでも、ホルモンのみえない脅威を感じることは多々あった。

大好きだったテレビを受けつけなくなって、ただついているだけでもしんどくなったり、こなつのこととなると機敏に動けるのに、家事や雑事がそれまでのようにテキパキとできず時間がかかったりした。

そのたびに、しくしくと泣いた。

こなつとは関係のないところで、うまく訳を説明できない涙がこぼれた。

どんなに涙がでても、体や心がつらくても、こなつが可愛くてまた泣けた。

涙腺が元に戻るのには2~3か月かかった気がする。

すっかり元に戻っていたのに、ここ最近、いろんなことで涙が出そうになる。

というか泣いている。

こなつが愛しくて、あるいは全然関係のないことで、涙が溢れる。

なんだこれは。

産後1年後に再び泣き虫になるなんて、聞いていない。

穏やかな気持ちでこなつの誕生日を迎えたいのに、めでたすぎて、特別すぎて、感情が溢れて困っている。

こなつと過ごして1年。

母は強しというけれど、まだそんなことは一度も実感できていない。

そんな域には達していないというより、泣き虫かつチキンで、全然強い母になれる気がしない。

ずっとオロオロあわあわしてそうだ。

強くなれるならなりたいけど、それよりも、私の弱い部分がこなつを傷つけることがないよう、穏やかで優しい母でいたい。

泣き虫な私を、もうすぐ1歳のこなつが見ている。

こなつ、1歳おめでとう。

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